記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
元Kis-My-Ft2のメンバーで、歌手や俳優として知られる北山宏光さん。地元はどこなのか、どんな子供時代を過ごしたのかが気になる方も多いのではないでしょうか。
北山宏光さんの地元は神奈川県相模原市と報じられており、公式プロフィールでは出身地が神奈川県と紹介されています。
小学1年生からサッカーを続け、サッカー推薦で高校へ進んだあと、地元で流行っていた歌をオーディションで歌って芸能界に入りました。
この記事では、北山宏光さんの地元と子供時代、同級生との話を、本人の言葉と報道をもとに整理します。
目次
北山宏光の地元は神奈川県相模原市|サッカー少年の子供時代
- 地元はどこ?基本情報
- サッカーと外遊びの子供時代
- 小中学校時代のライバル
- 女子同級生とバレンタインの箱
まずは、地元の場所について分かっていることと、子供時代や同級生とのエピソードを見ていきます。
地元はどこ?基本情報
北山宏光さんは1985年9月17日生まれの歌手・俳優です。レーベルの公式サイトにあるプロフィールには「1985年9月17日生まれ、神奈川県出身。」と書かれています。
地元について分かっていることを、先に一覧にしておきます。
| 生年月日 | 1985年9月17日 |
| 公式プロフィールの出身地 | 神奈川県 |
| 報道で伝えられた地元 | 神奈川県相模原市 |
| 町名・小中学校名 | 公表されていない |
| 子供時代 | 小学1年生からサッカー |
| 高校 | 堀越高校(サッカー推薦で入学) |
| 芸能界入り | 2002年にオーディションを受けた |
公式に出ているのは「神奈川県」までです。ORICONのプロフィールも「1985年9月17日生まれ、神奈川県出身。」となっており、2026年7月のラジオ番組の記事でも紹介文は「1985年生まれ、神奈川県出身」でした。
市の名前は、大手メディアの記事で伝えられています。
2019年4月にテレビ朝日のバラエティー番組『あいつ今何してる?』へ出演した際、ORICON NEWSは番組の紹介記事で「北山は、1985年生まれの神奈川県相模原市出身。」と書きました。2026年8月の日刊ゲンダイの記事にも「生まれ育ったのは神奈川県相模原市。」とあります。
公式プロフィールは神奈川県、報道は相模原市という2段階で、地元の場所が伝えられているわけです。
相模原市は神奈川県の北部にあり、2010年に政令指定都市へ移行した市です。東京都の町田市や八王子市と隣り合っています。
一方で、市内のどの町で育ったのか、どの小学校や中学校に通ったのかは、公式プロフィールにも本人の発言にも出ていません。インターネット上には校名や町名を挙げる記事がありますが、出典が示されておらず、小学校の名前は記事によって食い違っていました。
本人が番組やインタビューで使っている言葉も「僕の地元」「地元の友だち」までです。この記事では、根拠を確認できない町名や校名は紹介せず、市の名前までにとどめてお伝えします。
サッカーと外遊びの子供時代
北山さんの子供時代を語るうえで欠かせないのがサッカーです。2026年7月に記事が公開されたTOKYO FMのラジオ番組『G-SHOCK presents THE MOMENT』で、本人は部活について聞かれ「小学校1年生からずっとサッカー」と答えました。
日刊ゲンダイは、中学時代の様子を「地元の公立中学に通う北山は注目の的だった」と伝えています。注目されたのはサッカー選手としてで、神奈川県の少年サッカークラブの指導者は「地域ではちょっと名が知られた存在だった」と話したそうです。
同じ記事によると、大会への出場記録は残っていないものの、将来の夢はJリーガーでした。
小学1年生から高校1年生まで、北山さんの毎日の中心にはずっとサッカーがあったのです。
家での様子も、同じラジオ番組で明かしています。小さい頃からダンスを見ていたのかと聞かれると、「まったくない。なんなら「勉強しなさい」って言われるようなタイプだったかな。それが嫌で家に帰らなくて、ずっと外で遊んでいるような子どもだった。」と振り返りました。
歌についても意外な話をしています。学校の合唱コンクールでは「俺はすごく声が小さくて、全然参加しないタイプだった(笑)」そうです。
当時の空気については「踊ったりとか歌ったりするのが、世間的にはまだ、ちょっとカッコ悪い空気があった時期だった」とも語りました。のちに歌って踊る仕事に就く人が、地元では歌にも踊りにも縁のないサッカー少年だったことになります。
家族については、日刊ゲンダイが芸能記者の話として、北山さんは一人っ子で、母親は小学校の教師だったと報じています。本人が語った「勉強しなさい」と言われる家庭の様子と合わせて読むと、子供時代の暮らしが少し見えてきます。
ただし、家族の詳しいことは公式には明かされていません。インターネット上には父親の職業などを書いた記事もありますが、本人の発言や大手の報道では確認できませんでした。
小中学校時代のライバル
地元の同級生との関係がよく分かるのが、2019年4月17日に放送されたテレビ朝日の番組『あいつ今何してる?』です。ゲストの学生時代の同級生が今どうしているかを調べる番組で、北山さんの回では、同じKis-My-Ft2で活動していた宮田俊哉さんも一緒にVTRを見守りました。
テレビ朝日の番組記事によると、北山さんは幼い頃からサッカーに情熱を傾けていました。小学校・中学校の時代には、サッカーで激しいライバル争いをしていた同級生がいたそうです。北山さんはその同級生を「努力の天才」と呼んでいます。
当初は北山さんのほうが選手としての実力は上だったそうです。ところが同級生は努力を重ね、のちに「プロ入りを蹴って東大に行った」という噂が立つほどになりました。番組が調べると、アメリカで仕事に就いていることが分かったといいます。
VTRに登場した同級生は「彼がいたからこそ僕は必死に努力できた」と語りました。一方で「正直、アイドルとしてデビューしたのを見て何だよと思った」という本音も明かしています。
親友でありライバルでもあった同級生の言葉に、北山さんは涙が止まらなくなりました。
北山さんは放送にあたって「『みんな大人になっているな』と思いました。夢を追って海外に行って仕事していることにも、時の流れを感じました。」とコメントしています。続けて「青春時代と今のこの状況が混ざって、自分でもよく分からない感情になり、気づいたら涙が出ていました…。」とも話しました。
「童心に戻ったというか、いろんな思いのこもった涙でした」という言葉もあります。地元でサッカーに明け暮れた時間が、大人になっても本人の中に残っていたことが伝わってきます。
コメントの最後は「『あいつ今何してる?』に出演して、本当に良かったです。」と結ばれていました。
一緒に見ていた宮田さんは「いい友達に囲まれてるんだっていうのが分かって、僕もすごくうれしかったです」と話しました。なお、同級生の具体的な職業は放送前の番組記事では伏せられており、この記事でも触れていません。
女子同級生とバレンタインの箱
同じ放送では、もう1人の同級生も登場しました。北山さんが毎日のように喧嘩をしていたという、女子の同級生です。
番組記事によると、あるバレンタインデーの当日、北山さんの机に箱が入っていました。ところが、開けても開けても中から出てくるのは箱ばかりだったそうです。
北山さんは、このいたずらを仕掛けたのは彼女だと、大人になっても確信していました。スタジオでは「絶対あいつは俺のこと好き」と言い張っていたといいます。
約20年たって番組が本人に当時の気持ちを確かめると、思いがけない展開になり、スタジオは笑いに包まれたと紹介されています。彼女がどう答えたのかは、放送前の記事では明かされていません。
涙のVTRと笑いのVTRが続いたことについて、出演者の堀内健さんは「1本目は感動、涙あり。その次は笑いで締めて、構成もばっちりでしたね(笑)。」と話しました。
名倉潤さんのコメントも印象的です。「北山くんってこういう子なんや、こういう所で、こういうふうに育って、こういう友だちがいて…というふうに。」と、VTRを通して北山さんの育った環境が見えたと語っています。
名倉さんは「こんな友達とともに過ごしてきて、今の北山くんはこういう人になったんだと分かって、北山くんのことが大好きになりました。」とも話しました。原田泰造さんも「北山くんが『なんで俺、泣いてるんだろ…』って言いながら泣いていた気持ちもすごく分かりました」と共感を寄せています。
長く同じグループで活動してきた宮田さんにとっても、初めて知る話が多かったようです。ORICON NEWSの記事には「ここに至るまでに、「こんなことがあったんだなあ」と感心しながらVTRを見ていました。」というコメントが載っています。
北山さん本人は、見どころを聞かれて「なんかもう、パンツ一丁にされた気分ですよ(笑)。」と照れています。続けて「僕の素顔というか、育ってきた時間にちゃんと触れていただきました!」と話しており、地元での日々をそのまま見せた回だったことが分かります。
ライバルと競い合い、女子の同級生とは毎日のように言い合う。番組記事から浮かぶのは、にぎやかな仲間に囲まれた学校生活です。
北山宏光が地元から芸能界へ|高校進学と地元への思い
- サッカー推薦で堀越高校へ
- 地元で流行った歌とオーディション
- 年下に混ざって踊った入所当時
- 地元に帰ると聞く同級生の話
- 北山宏光の地元まとめ
ここからは、地元を出て高校へ進んだあとの歩みと、大人になってからの地元との関わりを見ていきます。
サッカー推薦で堀越高校へ
地元の中学校を卒業した北山さんは、東京都中野区にある堀越高校へ進みました。芸能人が多く通うことで知られる学校ですが、北山さんの入り口はサッカーでした。
2018年4月24日放送の日本テレビ『火曜サプライズ』で、本人は「俺もともとサッカー推薦で堀越入って」と明かしています。芸能コースの出身ではないと知って、進行役のウエンツ瑛士さんは驚いたそうです。
テレビ朝日の番組記事は、堀越高校を「全国大会6回の出場を誇る」学校として紹介しています。そこに推薦で入るほどの選手だったわけです。
入学式では、のちの人生を変える出会いがありました。「入学式の時に金髪の山Pが入ってきて。サッカー部だから厳しくて俺は角刈りみたいな感じだったの。『なんで金髪の人がいるんだ?』って、山下が同じ学校だってそこで初めて知った」と本人は振り返っています。
同級生だった山下智久さんに、北山さんは自分から声をかけました。番組では日本テレビの青木源太アナウンサーが、すでに人気者だった山下さんに北山さんがどんどん話しかけ、電話番号も聞いたという話を紹介しています。
北山さんはこれを認めたうえで、理由を「人生一回しかないと思ったから。どんな人なのって気になった。そしたら『あ、面白いな。こんな世界あるんだ』って」と説明しました。
地元でサッカーだけを見てきた少年が、高校で初めて芸能の世界を知ったのです。
サッカー部は長く続きませんでした。本人はラジオ番組で「高1のタイミングでサッカー部をやめて、この業界に飛び込んできた」と話しています。日刊ゲンダイは、サッカーへの思いを断ち切るためにスパイクなどの用具をすべて捨てたと伝えました。
高校を卒業したのは2004年です。テレビ朝日の芸能ニュースは、2004年2月13日に中野サンプラザで行われた卒業式を伝える記事で「ジャニーズの北山宏光は一般コースの卒業」と書きました。
その後は亜細亜大学の経営学部経営学科に進み、2008年3月に卒業したとテレビ朝日が報じています。小学校と中学校の名前は公表されていないため、学歴として確認できるのは高校と大学です。
地元で流行った歌とオーディション
芸能界に入るきっかけにも、地元が関わっています。2026年7月に記事が公開されたラジオ番組で、北山さんは事務所のオーディションを受けた経緯を詳しく語りました。
きっかけは友人の家族でした。「友達の妹が山P(山下智久さん)のファンだったから、「履歴書送ってみな」って言われたのがきっかけで。」と話しています。
書類が通って会場に行くと、そこには大勢の参加者がいました。本人は「何人ぐらいいたのかな。100人近くいたかも。いきなり「踊れ」って言われて。だけど、ダンスはしたことがなかったから。」と振り返っています。
サッカーひとすじで、ダンスの経験はありません。そこで「何かできないか」と言われたときに選んだのが、歌でした。
「僕の地元で当時流行っていた歌があって、その歌を歌わせてもらった。」と北山さんは明かしています。曲はGLAYの「ずっと2人で…」でした。
オーディションで北山さんを助けたのは、地元の仲間とカラオケで歌っていた1曲だったのです。
当時の様子について、本人は「俺らの周りは、それ聴いてみんなで大合唱よ、カラオケボックスで。そういう世代だから(笑)。」と話しました。聞き手のこっちのけんとさんは「めちゃくちゃいい環境で育ってますね。」と返しています。
歌に自信があったのかと聞かれると、北山さんは「ないない!」と即答しました。しかも伴奏なしで歌ったそうで、「アカペラよ、アカペラ(笑)。」と笑っています。
歌詞の間が空く曲を1人で歌いきったことについては、「その時間を、俺は耐えた。耐えたから受かったのかもしれない(笑)。」と語りました。曲そのものへの思い入れも変わっていないようで、番組では「めちゃくちゃいい曲っすよね!」とも話しています。
合唱コンクールでは声が小さかったという人が、大事な場面で頼ったのが地元の思い出の歌だったことになります。
日刊ゲンダイによると、北山さんが事務所に入ったのは高校2年のゴールデンウイークでした。本人がラジオ番組で挙げた年は2002年です。
年下に混ざって踊った入所当時
事務所に入ったあとの北山さんを待っていたのは、地元のサッカー部とはまったく違う世界でした。同じラジオ番組の続きで、本人は入所当時のレッスンについて語っています。
高校生で入った北山さんは、当時としては遅いスタートでした。周りには小学生のうちに入った人もいたそうです。
北山さんは「僕だけ体が出来上がった状態で小学生、中学生ぐらいの子たちのなかに混ざって踊っていたんです。」と話しています。
同じ年ごろの人がいなかったわけではありません。ただ、本人によると「もうグループを組んでいたり、メインで歌っていたりしたんですよね。」という状況でした。北山さんは「一番ちっちゃい子のなかに入って、一番端っこで」踊っていたといいます。
とまどいの理由として本人が挙げたのが、サッカーで身についた感覚でした。「ずっとスポーツをやっていたから、それまでは年齢での上下関係がとてもある環境だったんですよ。」と説明しています。
年下の先輩に囲まれる状況は、お互いにやりにくかったようです。北山さんは「俺も気まずいけど、向こうも気まずいんだよね。」と笑いました。中には「俺の方が入所は早いから」という態度の子もいたそうです。
レッスンの場では年齢の上下が見えにくく、本人の言葉を借りると「全員が“同い年扱い”みたいな感じ」でした。年上を立てるサッカー部の文化で育った北山さんには、大きな違いだったことが分かります。
それでも、やることは決まっていました。「もうゼロから行くしかないから「おはようございます!」みたいな感じでした(笑)。」と当時を振り返っています。
地元では名前を知られたサッカー選手だった人が、いちばん端からやり直したことになります。北山さんはその後、2011年8月にKis-My-Ft2のメンバーとして「Everybody Go」でCDデビューしました。
入所からデビューまでには9年ほどかかっています。小学1年生から続けたサッカーをやめて選んだ道を、端の位置から積み上げていった年月でした。
地元に帰ると聞く同級生の話
大人になってからも、北山さんは地元とのつながりを口にしています。2019年2月、映画『トラさん~僕が猫になったワケ~』の公開に合わせたインタビューでの発言です。
父親役を演じたこの作品について話す中で、北山さんは「地元に帰れば『誰々の子ども同士が同級生で、この前は運動会に行ってきた』といった話も聞きますからね。」と語りました。地元に帰り、同級生たちの近況を聞いている様子がうかがえます。
同じ年の4月に放送された『あいつ今何してる?』でも、地元の仲間への思いを言葉にしました。VTRで集まった同級生たちを見て、「地元の友だちは変わっていなくて、『良かったな』と思いました。」とコメントしています。
地元の仲間が変わっていなかったことを、北山さんは素直に喜んでいます。
コメントは「仲間が集まっているのを見て、仲良かったよなと思いだしましたし、見ていて楽しかったです。」と続きます。
ソロになってからは、出身県の神奈川で大きな公演も行いました。2024年12月3日と4日、全国ツアー「ZOO」の最終公演を横浜のぴあアリーナMMで開きました。
音楽メディアのレポートによると、北山さんは初日のステージで「こんな大きなところでやれるのは本当にうれしい。みんなありがとね」と観客に感謝を伝えました。会場のある横浜にちなんだ食べ物やグッズを使ったトークもあったそうです。
ただ、本人が地元について語ったという記述は、このレポートにはありません。
ここまでの歩みも整理しておきます。北山さんは2023年8月31日にKis-My-Ft2を卒業して事務所を退所し、同じ年の9月17日にTOBEとともに新しい挑戦を始めると発表しました。11月には「乱心-RANSHIN-」でソロデビューを果たしています。
地元について本人が語った言葉は多くありません。それでも、同級生の話になると運動会やカラオケといった具体的な場面が出てくるのが印象的です。
北山宏光の地元まとめ
北山宏光さんの地元について、分かっていることをまとめます。
- 公式プロフィールの出身地は神奈川県
- 大手メディアは神奈川県相模原市の出身と伝えている
- 町名や小学校・中学校の名前は公表されていない
- 小学1年生からサッカーを続け、地域で名前を知られた選手だったと報じられている
- 小中学校時代のライバルだった同級生が、2019年の番組にVTRで登場した
- サッカー推薦で堀越高校に進み、高校1年でサッカー部をやめた
- オーディションでは地元で流行っていたGLAYの「ずっと2人で…」を歌った
- 2019年のインタビューで、地元に帰ると同級生の近況を聞くと話した
サッカーと仲間に囲まれた地元での日々が、北山宏光さんの土台になっています。これからの活躍にも注目です。

