記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
仲野太賀さんの学歴を調べると、ある地点でぱたりと情報が止まります。
高校卒業。そこから先がありません。
大学の名前が出てこないのは、進学していないからです。
ただ、その決断の理由を本人が語った言葉が、なかなか強烈でした。
この記事では、仲野太賀さんが通った学校をたどりながら、なぜ大学へ行かなかったのかまで整理していきます。
目次
仲野太賀の学歴は小学校から高校まで一気に分かる
まずは通った学校を順番に見ていきましょう。
- 学歴の全体像は高校まで
- 俳優を志した小学校時代
- 父と同じ中学校に通っていた
- 日出高校の芸能コースを選んだ理由
- 同級生が豪華すぎる件
学歴の全体像は高校まで
結論から書きます。仲野太賀さんの最終学歴は、日出高校の卒業です。
大学には進学していません。まずは全体像を押さえておきましょう。
| 小学校 | 杉並区立馬橋小学校 |
| 中学校 | 杉並区立杉森中学校(本人は非公表) |
| 高校 | 日出高校 芸能コース(現・目黒日本大学高校) |
| 高校の偏差値 | 42 |
| 大学 | 進学せず |
基本情報も添えておきます。本名は中野太賀さんで、1993年2月7日生まれの東京都出身。デビュー当初は「太賀」という芸名で活動しており、のちに仲野太賀へ改名しています。
地元は杉並区。小学校も中学校も地元の公立校に通っており、ここまではごく普通の子ども時代です。芸能一家に生まれたからといって、幼い頃から特別な学校に通っていたわけではないんですね。
俳優を志した小学校時代
出身小学校は、杉並区立馬橋小学校とされています。地元の公立校です。
この頃の仲野太賀さんは、とにかくドラマや映画が好きな子どもでした。ただ観るだけでは終わりません。登場人物のセリフをマネしたり、印象に残ったシーンを再現したりして遊んでいたといいます。
そして人生を決める出会いが訪れます。ドラマ『ウォーターボーイズ』に感動し、主演の山田孝之さんに憧れて俳優を志したのです。
父が俳優なのだから、家業を継ぐように自然と役者になった。そう思われがちですが、実際のきっかけはテレビの前にいた一人の子どもの憧れでした。父の背中ではなく、山田孝之さんの背中だったわけです。
ちなみに家庭のしつけは厳しめでした。挨拶や食事のマナーについては、父の中野英雄さんから子どもの頃から厳しく言いつけられていたそうです。
父と同じ中学校に通っていた
中学校は、杉並区立杉森中学校とされています。
ひとつ断っておくと、仲野太賀さん本人は出身中学を公表していません。ただ、この中学校に在籍していたという情報が複数見られ、そう受け止められています。
面白いのはここからです。父の中野英雄さんも、同じ杉森中学校の出身とされています。
親子で同じ中学というのは、地元に根を張って暮らしてきた証拠でもありますよね。芸能一家というと華やかな移動生活を想像しますが、実際は父の母校に息子が通う、ごく地に足のついた家庭でした。
部活ではなくバンドに熱中していた
中学時代、部活動はしていません。代わりに熱中していたのが音楽です。バンドを組んでいたのですが、これが長続きしませんでした。組んでは解散、を繰り返していたといいます。
中学2年で俳優デビューしていた
そしてこの中学時代に、すでに俳優としての一歩を踏み出しています。中学2年生で芸能事務所に入り、ドラマ『新宿の母物語』でデビュー。翌年には『生徒諸君』で連続ドラマにも出演しました。
大河ドラマ『風林火山』にも起用されていますが、こちらは1話のみのスポット出演です。デビューしたとはいえ、この頃はまだ仕事に恵まれていたとは言えない状況でした。
日出高校の芸能コースを選んだ理由
高校は、日出高校の芸能コースへ進みます。偏差値は42とされています。
数字だけを見て「学力で選ばなかったのか」と思うのは早計です。ここには明確な事情がありました。中学2年ですでに俳優デビューしていたため、芸能活動と学業を両立できる環境が必要だったのです。
日出高校は1903年開校の私立高校で、古くから芸能コースを設置し、多くの芸能人を輩出してきました。仕事で授業に出られない日があっても、卒業までたどり着ける仕組みが整っている学校です。
つまり学力で妥協したのではなく、仕事を続けるために必要な場所を選んだ、というのが実態でしょう。ちなみにこの高校は2019年4月に目黒日本大学高校へと名前を変えています。
同級生が豪華すぎる件
この高校選びが、結果として大きな財産を生みます。同級生の顔ぶれが、とんでもないことになっていたのです。
菅田将暉さん、染谷将太さん、滝沢カレンさん、Snow Manの深澤辰哉さん、有村架純さん。いま第一線で活躍している人たちが、同じ学校にそろっていました。
なかでも染谷将太さんとは中学からの親友です。同じ高校へ行こうと誘ったのは、仲野太賀さんのほうだったといいます。
そして高校時代には、同級生と自主的に映画を作っていました。授業で課されたわけでもなく、仕事でもない。ただ作りたいから作る、という時間です。この経験が俳優としての基礎になった、と語られています。
偏差値42という数字だけを見て、この3年間を語ることはできません。同世代が受験勉強に向かっていた時期に、この人は現場と自主制作の中にいました。学校で測られるものとは別の物差しで、すでに評価される世界に足を踏み入れていたのです。
仲野太賀の学歴が高校で止まった理由と、その後の遠回り
ここからは、大学へ行かなかった決断の中身を見ていきます。
- 大学に進学しなかった決断
- 本人が語った驚きの理由
- 高校時代に抱えていた鬱屈
- 芸名を変えて掴んだ転機
- 学歴についてまとめ
大学に進学しなかった決断
仲野太賀さんは高校卒業後、大学などに進学せず芸能活動に専念する道を選びました。
これは流れで決まったことではありません。大学に進学しないと決めたうえで、本格的に役者として生きていく覚悟を固めた、と本人が明かしています。
18歳の時点で、保険をかけない選択をしたわけです。デビューはしていたものの、まだ広く知られる存在ではありませんでした。それでも進学という逃げ道を残さなかった。
本人が語った驚きの理由
では、なぜそこまで思い切れたのでしょうか。理由を語った言葉が残っています。
父親が俳優という家庭で育っていて、会社に勤めるということがあんまりにも現実的じゃなかった。
さらに、こう続けています。どうやって就職するのか、大学の行き方も分からないというぐらいものすごく遠い世界で、圧倒的に芸能界が近かった、と。
これは覚悟の話であると同時に、環境の話でもあります。多くの人にとっては進学や就職が当たり前の道で、芸能界のほうが遠い世界です。ところがこの人にとっては、その地図が完全に裏返っていました。
勇気を出して飛び込んだというより、そこしか道が見えていなかった。芸能一家に育つとはこういうことなのか、と分かる一言ですよね。
高校時代に抱えていた鬱屈
ただし、順風満帆だったわけではまったくありません。むしろ逆でした。
豪華な同級生に囲まれ、自分は作品に出ている。それでも高校時代の人気は今ひとつだったといいます。
当時の気持ちを、本人がこう表現しています。作品には出てるが、外に出ても誰からも認識されていない自分は俳優と言えるのか。
きつい言葉です。しかも周りには、先に売れていく同級生がいます。同じ教室にいながら、差がついていくのを毎日見せられるわけです。
それでも腐らなかったところが、この人の芯なのでしょう。何が自分に足りないのか、どうすれば認めてもらえるのかを、その頃からずっと考え続けてきたとも語っています。
この時期の過ごし方には、はっきりした違いが表れています。売れないことを他人のせいにする道もあれば、環境のせいにする道もありました。まして父は俳優で、母は事務所の社長です。頼ろうと思えば頼れる相手が、すぐそばにいたわけです。
それでも仲野太賀さんが向けた矢印は、自分自身でした。足りないのは何か、と問い続けた。その問いを10代のうちに手放さなかったことが、のちの下積みを支えたのだと思います。
芸名を変えて掴んだ転機
高校卒業後も、すぐに時代が来たわけではありません。
『桐島、部活やめるってよ』などの話題作に起用されながら、広く名前が知られるようになるまでには時間がかかりました。本格的に注目されたのは、20代半ばに入ってからです。
デビューから数えると、10年近い助走期間があったことになります。大学に行かないと決めて飛び込んだ世界で、それだけの時間を耐えたわけです。
その後、芸名を「太賀」から「仲野太賀」へ改めました。いまでは大河ドラマの主演を務めるまでになっています。学歴が高校で止まっていることを、誰も気にしなくなりました。
仲野太賀の学歴についてまとめ
仲野太賀さんの学歴について、この記事で分かったことを整理します。
- 最終学歴は日出高校の芸能コース卒業。大学には進学していない
- 小学校は杉並区立馬橋小学校。ドラマ『ウォーターボーイズ』と山田孝之さんに憧れて俳優を志した
- 中学校は杉並区立杉森中学校とされ、父の中野英雄さんも同じ中学の出身
- 中学では部活をせずバンドに熱中。中学2年で事務所に入り『新宿の母物語』でデビュー
- 高校の偏差値は42。学力ではなく、芸能活動と両立できる環境として芸能コースを選んだ
- 同級生に菅田将暉さん、染谷将太さん、滝沢カレンさん、深澤辰哉さん、有村架純さん
- 染谷将太さんは中学からの親友で、同じ高校へ誘ったのは仲野太賀さんのほう
- 大学に行かなかった理由は「会社に勤めることが現実的じゃなかった」から
- 高校時代は「誰からも認識されていない自分は俳優と言えるのか」と鬱屈を抱えていた
学校名や偏差値だけを並べれば、ごく普通の学歴です。特筆すべきものは何もありません。
それでも、大学へ行かないと決めた18歳の判断と、認識されない時期を耐えた助走があって今がある。学歴の欄に書けない部分にこそ、この俳優の中身が詰まっているのだと思います。