二階堂高嗣の学歴まとめ!高校・大学は非公表、小4入所と友達が少なかった中学時代

二階堂高嗣の学歴まとめ!高校・大学は非公表、小4入所と友達が少なかった中学時代

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Kis-My-Ft2のメンバーで、バラエティ番組でも親しまれている二階堂高嗣さん。小学生のうちに事務所へ入った二階堂さんが、どんな学校生活を送ってきたのか気になる方も多いのではないでしょうか。

二階堂高嗣さんの小学校・中学校・高校の校名や大学進学の有無は、本人や所属事務所から公表されていませんが、学生時代の様子は本人が雑誌のロングインタビューで詳しく語っています。

中学時代については「中学は友だち少なかったんですよね」と振り返っています。

この記事では、二階堂高嗣さんの学歴と学生時代について、本人の言葉や報道をもとに整理します。

二階堂高嗣の学歴|小学校・中学校と入所までの歩み

  • 学歴一覧と校名の公表状況
  • 小学校は目立ちたがり屋
  • 小4で姉に連れられ入所
  • 中学は友達が少なかった

まずは学歴の全体像と、幼い頃から中学時代までのエピソードを見ていきます。

学歴一覧と校名の公表状況

二階堂高嗣さんは1990年8月6日生まれ、東京都出身です。所属事務所の公式プロフィールに載っているのは生年月日と出身地、血液型で、学歴についての記載はありません。

学歴について分かっていることを、先に一覧にしておきます。

生年月日・出身 1990年8月6日・東京都(公式プロフィール)
小学校・中学校 校名は公表されていない
事務所への入所 2001年2月4日(小学4年の時期)
グループ結成 2005年(中学3年にあたる年)
高校 校名は公表されていない
大学 進学の有無は公表されていない
CDデビュー 2011年8月10日

表のとおり、学校名はどれも明かされていません。一方で、学校でどんな子だったのか、仕事とどう向き合っていたのかは、本人がアイドル誌『Myojo』のロングインタビューで細かく語っています。

2013年4月号に掲載され、のちに加筆・訂正のうえウェブでも公開されたものです。添えられたプロフィールによると、身長は172cmです。

このインタビューでも、学校での出来事は語られているものの、校名は一度も出てきませんでした。

インターネット上を見ると、小学校は「不明」とする記事が多く、中学校については埼玉県内の学校名を挙げる記事が目立ちます。ただ、どの記事にも出典は示されていません。事務所の公式プロフィールでは出身地が東京都となっており、育った場所について本人が詳しく語った発言や報道も確認できませんでした。

この記事では、根拠を確認できない校名は断定せず、本人が語った学生時代のエピソードを中心にお伝えします。

なお、1990年8月生まれの二階堂さんの場合、生年月日から数えると小学校に通ったのは1997年4月から2003年3月、中学校は2003年4月から2006年3月の時期にあたります。事務所に入った2001年2月は小学4年の終わり頃で、グループが結成された2005年が中学3年の年です。義務教育の後半は、ほぼ丸ごと仕事と重なっていたことになります。

小学校は目立ちたがり屋

二階堂さんは、幼い頃からかなりのいたずらっ子だったそうです。ロングインタビューでは「僕、4つくらい幼稚園を転々としてるんです」と明かしています。

理由はいたずらのしすぎでした。女の子を泣かせてしまったり、お昼寝の時間に抜け出したりしていたといい、「火災報知機のボタン押したこともあるんですよ」とも話しています。先生や親に叱られても、まったく聞いていなかったそうです。

小学校に上がってからの自分については「目立ちたがり。目立ちたくて親父にバック転を教えてもらいました」と振り返りました。バック転ができると周りからは驚かれたものの、女の子に人気が出たわけではなく、本人いわく「度がすぎるお調子者だったんで」とのことです。

通知表には「人の話をよく聞きましょう」と必ず書かれていたそうです。

一方で、先生のまねをして周りを笑わせることもありました。本人は、ものまねのためというより「小さいころから人間観察が好きだったんですよ」と説明しています。人のくせを見つけるのが好きだったという話で、得意のものまねにつながる観察眼は、小学校の頃から育っていたようです。

いたずら好きは、小学生で事務所に入ってからも変わりませんでした。仲間のお菓子を勝手に食べるのは日常茶飯事で、レッスン着に着替えるときに脱いであった誰かのジーンズのポケットへ、チーズ味のポテトチップスを入れてつぶしたこともあったと明かしています。

本人は「なんとなく、怒られないラインがわかるんですよ」と話しており、叱られるぎりぎりを見極めるのが小さい頃からうまかったそうです。ただ、のちに同じグループになる横尾渉さんのパンを勝手に食べたときは冷静に注意され、直立不動で謝ったといいます。

ちなみに、小学4年の頃に将来なりたかったものは「納豆」や「クルマのタイヤ」でした。好きなものになりたかった、というのが理由です。家族仲はとても良く、小学生の頃は温泉などへよく家族旅行に出かけていたとも語っています。

小4で姉に連れられ入所

事務所に入るきっかけを作ったのは、KinKi Kidsのファンだったお姉さんでした。本人はこのときのことを「お姉ちゃんにだまされたんです」と表現しています。

ある日、学校から帰ると郵便受けに事務所からの封筒が届いていました。お姉さん宛てだと思って渡したところ、コンサートに行くからと日にちを告げられ、当日ついて行った先が渋谷のオーディション会場だったそうです。

当時の二階堂さんは、オーディションという言葉自体を知りませんでした。「コンサートは、いつ始まるんだって最後まで思ってて(笑)」と話しており、お姉さんが会場を離れたあと、いきなり振り付けを覚えることになります。

それでも小学4年の二階堂さんは、わけが分からないまま「一生懸命踊りましたね」と振り返っています。

体が小さかったこともあって年上の参加者にかわいがられ、「それが、楽しいなーって」感じたそうです。会場では、横尾さんに「振りつけ、おぼえました。見てください」と話しかけた記憶もあるといいます。

このとき撮影された写真は後日、雑誌に載り、お姉さんは興奮していたそうです。その後、事務所から連絡が来てレッスンに通うようになりました。入所日は2001年2月4日で、同じ日に入所したのが横尾さんと宮田俊哉さんです。

入所したことで学校での立場が変わったかというと、そうでもありませんでした。本人は「男としか基本遊んでなかったんで、変化は感じなかったです」と話しています。活動そのものも「最初は仕事って感覚じゃなくて、遊びに行くみたいな感じで」と振り返っており、小学生のうちは学校も現場も同じように楽しんでいた様子がうかがえます。

現場でも物おじしない子どもでした。レッスンに先輩の香取慎吾さんが紹介されたとき、周りがうなずくなかで1人だけ「誰それ、知らねー」と大声で言ってしまったそうです。本人は当時の自分を「俺、“THE子ども”だったんですよね」と表現しています。

中学は友達が少なかった

入所から数年がたつと、ただ楽しいだけだった気持ちに変化が出てきます。Kis-My-Ft2の結成前に組んでいたユニットでは、宮田さんや玉森裕太さん、千賀健永さんと一緒になり、「コイツらには負けたくねー」と思うようになったそうです。

とくに意識していたのが、ダンスの実績があった千賀さんでした。宮田さんによると、二階堂さんは人に見せないところで1人でダンスの練習をしていたといいます。本人も「言ったんだったらやるってのが、俺のやり方で」と認めていました。

2005年にはKis-My-Ft2が結成され、二階堂さんはグループ名の「2」を担当することになります。社長から「ツーだよ、ツー」と告げられたときは、大喜びしたそうです。

ところが、学校生活は順調ではありませんでした。聞き手に「学校でも人気者だったんじゃない?」と尋ねられると、二階堂さんは「いや、その逆で。中学は友だち少なかったんですよね」と答えています。

周りからは、事務所に入っているからと調子に乗るな、という目で見られていたといいます。「クラスで1日、誰ともひと言もしゃべらない日があったり」「どこにも入れなかったし」と、教室で孤立していた当時の様子を明かしました。

本人は中学時代の教室での日々を「ひたすら耐えてました」と振り返っています。

この経験は、仕事への向き合い方にも影響しました。「だったら、とことんカッコつけてやるよ」と考えるようになり、あまりしゃべらず笑わない二枚目路線を目指したそうです。ダンスで手を抜いたり、ローラースケートを嫌がったりと、反抗的な態度をとる時期が続きました。

それでも事務所を辞めようとはしませんでした。「辞める勇気も度胸もなかったですね。なんか、あのころ苦しかったな」と語っています。

学校で居場所を見つけにくかった分、同年代の仲間がいる現場は大事な場所だったのでしょう。2020年放送の番組では、中学生の年頃に千賀さんと2人で宮田さんへいたずら電話を繰り返し、普段は温厚な宮田さんを本気で怒らせたという思い出も紹介されています。

二階堂高嗣の学歴|高校・大学と仕事の両立

  • 高校名は確認できなかった
  • 修学旅行に行けなかった
  • 北山宏光と殴り合った夜
  • 大学進学は公表されていない
  • 英語が苦手で生まれた番組
  • 二階堂高嗣の学歴まとめ

ここからは、高校と大学について分かっていることと、仕事との両立にまつわる話を見ていきます。

高校名は確認できなかった

二階堂さんが通った高校の名前も、本人や事務所からは公表されていません。生年月日から数えると、高校生の年代にあたるのは2006年4月から2009年3月です。

インターネット上では、出身高校はクラーク記念国際高校の通信制だと広く紹介されています。しかし、本人の発言や事務所の発表では確認できませんでした。同校の公式サイトを検索しても、二階堂さんの名前は見つかりませんでした。

入学や卒業の年月まで書いている記事もありますが、こちらも出典は示されていませんでした。ロングインタビューでも高校の話題は出てこず、グループ結成後について語られているのは、ほとんどが仕事の話です。

結成後の二階堂さんは、キスマイの一員として先輩のコンサートや舞台に出演していました。舞台『滝沢演舞城』では、まだローラースケートに慣れていない時期に、水で濡れたステージで転んで客席に落ちそうになったと明かしています。

別のコンサートでは、先輩の錦戸亮さんを後輩と見間違えて乱暴な言葉をかけてしまい、必死に謝ったこともありました。翌日、錦戸さんから「気にせんでええよ」と声をかけられ、その優しさが忘れられないと話しています。

高校生の年代にあたる2007年には、後輩のHey! Say! JUMPが先にデビューしました。このときの気持ちを、二階堂さんは「先、行かれたって思いましたね。クッソーって」と振り返っています。同時に「俺らの力不足だよなって」とも感じ、いつか必ず追い抜くとメンバー全員で言い合っていたそうです。

性格の面では、中学から続く反抗期のただ中でした。結成当初は年上のメンバーにもため口で、「先に生まれただけでしょ!?」と思っていたそうです。

本人は、人の言うことを素直に聞けるようになったのは10代の終わり頃からだったと話しています。高校生の年代は、学校よりも仕事の現場で悩み、ぶつかっていた時期だったと言えそうです。

修学旅行に行けなかった

小学4年で入所した二階堂さんは、学生時代の多くを仕事と並行して過ごしました。入所してまもなく東京ドームのコンサートに出演し、滝沢秀明さんにおんぶされる役に指名されたこともあったそうです。緊張したかと聞かれると、「全然」と答え、目立てることをただ喜んでいたと話しています。

現場での要求は、子どもだからと軽くなるわけではありませんでした。グループ結成前のユニット時代には、コンサートのリハーサルで「一日で何十曲って振りつけを覚えて」いたと語っています。くたくたの休憩中に後輩への振り付け指導を任され、誰が行くかをじゃんけんで決めていたら「何、遊んでんだ!」と叱られた、という苦い思い出もありました。

こうした生活の中で、学校行事に参加できないこともあったようです。2020年12月に放送されたバラエティ番組『伊沢くんと修学旅行』の紹介記事では、早くから事務所に入ったため修学旅行に行く機会がなかった、と伝えられました。

番組は、クイズ王の伊沢拓司さんが担任の先生役になり、出演者が生徒として一泊二日で京都を巡る内容です。二階堂さんの役どころは、笑いに貪欲なクラスのムードメーカーでした。清水寺や伏見稲荷大社を訪れた二階堂さんは「こんな楽しいロケは初めてでずっとドッキリと思ってた」と大はしゃぎだったといいます。

二階堂さんは「人生初の修学旅行!修学旅行、マジで楽しすぎる!」と喜びを語りました。

大人になってから、番組の企画でようやく修学旅行を体験できたわけです。学業と仕事を両立するなかで、同級生と同じ思い出を作れなかった部分があったことが伝わってきます。

北山宏光と殴り合った夜

反抗的な態度が続いていた二階堂さんを変えたのは、当時のメンバーで最年長だった北山宏光さんでした。このエピソードは、本人も北山さんも、雑誌やテレビで何度か語っています。

2021年9月3日放送の『中居正広のキンスマスペシャル』によると、きっかけは2007年に後輩のグループが先にデビューしたことでした。番組では、もともとやんちゃだった二階堂さんが、さらに自暴自棄になっていったと紹介されました。

見かねた北山さんが「お前はソロじゃなくてグループだろ」と怒りをぶつけると、二階堂さんが手を出し、本気の殴り合いになりました。北山さんは番組で「ほっといたら辞めちゃうし、どんどん間違ったほうに行っちゃうなあと思って、殴り込みに行った」と当時の気持ちを説明しています。

ロングインタビューでは、二階堂さん自身がこの夜のことを語りました。友人と食事をしていたところへ北山さんから電話があり、訪ねてきた北山さんと仕事やグループについて話すうちに「途中からは、もう殴り合いですよ」という展開になったそうです。

北山さんは、仕事の向こうにどれだけのファンがいて自分たちを支えてくれているのかを考えろ、と訴えました。そのうえで「おまえはひとりじゃない。俺たちはグループなんだ」と伝えたといいます。

最後は2人とも泣きながら話していました。二階堂さんは、そこまで思ってくれるメンバーがいると知り、「これじゃダメだって気づきました」と語っています。

二階堂さんはこの出来事を「あの夜がなかったら、今、ここにはいないですね」と表現し、人生の一度目の分岐点だったと話しています。

2016年に出演した情報番組でも、けんかの締めくくりを「最後、泣きながらハグしました」と明かしました。金スマでは「あれがなかったら、どうなってたんだろう。ありがたかった」と感謝の言葉を口にしています。教室ではなく仕事の現場で、仲間に本気で叱られた経験が、二階堂さんにとっての大きな学びになったようです。

大学進学は公表されていない

二階堂さんが大学に進学したかどうかは、本人や事務所から公表されていません。インターネット上には「大学には進学しなかった」と書く記事もありますが、本人がそう語った記録は見つかりませんでした。

この記事では、大学については「公表されていない」という範囲でお伝えします。

はっきりしているのは、高校を卒業する年代にあたる2009年春以降も、グループの活動を続けていたことです。そして2010年、二階堂さんは二度目の分岐点を迎えました。メンバー7人のうち5人が出演した舞台『少年たち』に、自分は出られなかったのです。

本人は「あ、俺はもうこのグループにいられないんだ」と感じ、毎日のように泣いていたと明かしています。辞めることも考えたものの、ある人から「あと1年だけ、がんばってみろ」と声をかけられ、踏みとどまりました。

翌2011年、Kis-My-Ft2のCDデビューが決まり、8月10日にデビューを果たします。デビューが決まったときには、父親から「おまえも入ったな」と声をかけられたそうです。同年代の多くが大学生活を送っている時期に、二階堂さんはグループに残れるかどうかの瀬戸際で踏ん張っていました。

デビュー後も、学ぶ姿勢は続きました。グループ初の冠番組の放送を見て、自分がほとんどしゃべっていないことに気づき、無理に二枚目を演じるのをやめたそうです。目指す立ち位置は「キスマイのガヤ芸人ですね」と語りました。

2013年のインタビュー当時は、トークがうまくなりたいからと移動中に落語を聞いており、「すっげー勉強になります」と話していました。松本人志さんのラジオ番組を録音したものも、繰り返し聞いていたそうです。

英語が苦手で生まれた番組

学力の面で知られているのが、英語の苦手ぶりです。バラエティ番組『10万円でできるかな』では、二階堂さんが基礎的な英単語の読み方に挑む企画「ニカゲーム」が生まれました。

報道によると、この企画で二階堂さんは、自転車を意味する英単語を「ビチャーチレ」、劇場を意味する英単語を「ザ・アテル」と読むなど、珍回答を連発してきたそうです。

2025年4月には、この企画が独立した番組として放送されました。二階堂さんにとって地上波で初めての冠番組です。共演は後輩の猪俣周杜さんと、お笑いコンビ・令和ロマンの松井ケムリさんで、3人全員が正解しないと前へ進めないルールのゲームに挑みました。

放送にあたり本人は「今は、ボケてわざと間違えたら視聴者にバレる時代。ボケずに本気でやってるところを見てほしい!」とコメントしています。わざと間違えているのではなく、真剣に答えた結果だというわけです。

最初の問題は、おもちゃを意味する基礎的な英単語でした。収録を終えた二階堂さんは「猪俣くんよりは正解できた」と胸を張っています。

初回では、自分よりも苦戦する猪俣さんを前に「俺も最初はそうだった」と声をかける場面もありました。どうやって上達したのかという話では、街なかで「無意識に英語を読もうとしている」と明かし、松井さんから「素晴らしいじゃないですか」と返されています。

番組は見逃し配信のバラエティ部門で1位になり、2025年6月には1時間の特別番組が放送されました。同じ年の9月には、レギュラー番組として放送されることも発表されました。苦手なことを隠さず、本気で取り組む姿をそのまま見せたことが、自身の名前を冠した番組につながりました。

二階堂高嗣の学歴まとめ

二階堂高嗣さんの学歴について、分かっていることをまとめます。

  • 二階堂高嗣さんは1990年8月6日生まれ、東京都出身
  • 小学校・中学校・高校の校名は、本人や事務所から公表されていない
  • 高校はクラーク記念国際高校と広く紹介されているが、本人の発言や公式の発表では確認できなかった
  • 幼稚園を4つほど転々とし、小学校では目立ちたがり屋だった
  • 小学4年のとき、姉に連れられてオーディションを受け、2001年2月4日に入所した
  • 中学時代は友達が少なく、教室で孤立していたと本人が語っている
  • 早くから仕事をしていたため修学旅行に行く機会がなく、2020年の番組で初めて体験した
  • 北山宏光さんとの殴り合いを、人生の一度目の分岐点だったと振り返っている
  • 大学進学の有無は公表されていない

学校では居場所を見つけにくかった二階堂さんですが、仕事の現場で仲間とぶつかりながら学んだことが、その後の歩みを支えてきました。これからの活躍にも注目です。

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