藤ヶ谷太輔の大学は明海大学の経済学部!「4年でけじめ」の進学理由と卒業を後押しした母の言葉

藤ヶ谷太輔の大学は明海大学の経済学部!「4年でけじめ」の進学理由と卒業を後押しした母の言葉

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Kis-My-Ft2のメンバーで、俳優としても数々の作品に出演してきた藤ヶ谷太輔さん。ジャニーズJr.として長い下積みを経験した藤ヶ谷さんが、どの大学に通い、卒業したのか気になる方も多いのではないでしょうか。

藤ヶ谷太輔さんの大学は明海大学の経済学部経済学科と報じられており、本人もテレビ番組で「大学も卒業しました」と語っています。

進学を決めた理由は「4年でけじめつけなきゃな」という思いでした。

この記事では、藤ヶ谷太輔さんの大学と学部、卒業までの道のりを、本人の発言と報道をもとに整理します。

藤ヶ谷太輔の大学は明海大学|学部と卒業の事実

  • 大学の基本情報
  • 大学名と学部が報じられた経緯
  • 進学の理由は「4年でけじめ」
  • 卒業は本人が番組で明言

まずは、大学名と学部、進学の理由、卒業について分かっていることを見ていきます。

大学の基本情報

藤ヶ谷太輔さんは1987年6月25日生まれ、神奈川県出身です。所属事務所の公式プロフィールに載っているのは生年月日と出身地、血液型(AB型)で、学歴は書かれていません。

1998年に当時のジャニーズ事務所へ入所し、2005年7月からはKis-My-Ft2として活動しました。CDデビューは2011年8月で、入所からデビューまでには13年がかかっています。

大学について分かっていることを、先に一覧にしておきます。

大学 明海大学(2009年にテレビ朝日が事務所発表として報道)
学部・学科 経済学部経済学科
進学の理由 「4年でけじめつけなきゃな」(本人)
在学中 入学後に仕事が増え、学業と両立
卒業 本人が番組で「大学も卒業しました」と発言
卒業の年月 本人や事務所の発表では確認できず
高校 校名は公表されていない(本人いわく皆勤賞)

大学名と学部は、2009年にテレビ朝日の芸能ニュースサイトが「ジャニーズ事務所発表」として伝えたものです。進学の理由や卒業については、藤ヶ谷さん本人がテレビ番組で何度か話しています。

校名こそ自分の口からは語っていませんが、大学時代を振り返る発言は意外なほど多く残っています。デビューが見えないままJr.の活動を続けるなかで進学を選び、卒業までたどり着いた経緯には、本人の迷いや両親とのやりとりが詰まっていました。

大学について本人が話した主な番組は3つあります。2017年5月の『TOKIOカケル』では卒業の時期の悩みを、2023年1月の『徹子の部屋』では進学の経緯と卒業を、2026年3月の『A-Studio+』では進学の理由を語りました。

高校時代については、2021年8月の『しゃべくり007』と2024年1月の『突然ですが占ってもいいですか?』でエピソードを明かしています。この記事で紹介する発言は、いずれもこれらの放送を伝えた報道や番組の公式記事で確認できたものです。

ここからは、その中身を順番に見ていきます。

大学名と学部が報じられた経緯

藤ヶ谷さんの大学名がはっきり書かれているのは、テレビ朝日の芸能ニュースサイトが2009年1月6日に掲載した「ジャニーズの大学在学生・卒業生」という一覧です。

この一覧の「在学中」の欄に、Kis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔さんとして「明海大学経済学部経済学科3年」と書かれていました。記事の末尾には「ジャニーズ事務所発表により」という注記が付いています。掲載されたのは、Kis-My-Ft2がCDデビューする2年以上前のことでした。

つまり、大学は明海大学、学部と学科は経済学部経済学科というのが、事務所の発表にもとづいて報じられた内容です。

一覧は「在学中」と「卒業組」に分かれていて、在学中の欄には藤ヶ谷さんと同期の中丸雄一さん、卒業組の欄には嵐の櫻井翔さんらの名前が並んでいました。大学名だけでなく学年まで書かれているため、当時の在籍状況を知る手がかりになります。

同じ一覧には、メンバーの宮田俊哉さんが国士舘大学の在学生として、当時メンバーだった北山宏光さんが亜細亜大学の卒業生として載っていました。Kis-My-Ft2には、デビュー前から大学に通っていたメンバーが複数いたことになります。

インターネット上には、学部はどこなのかを尋ねる質問も見られます。事務所発表として報じられたのは経済学部経済学科で、これ以外の学部名を示す本人の発言や報道は確認できませんでした。

一方で、藤ヶ谷さん自身が番組で大学名や学部名を口にした発言は、確認できた報道の中にはありませんでした。本人が語っているのは、大学に進学して卒業したという事実と、その頃の気持ちです。

卒業した年月についても、本人や事務所がはっきり示したものは見つかっていません。2009年1月の報道で3年生だったので、順当に進級していれば2006年の春に入学し、2010年の春に卒業する学年にあたります。

この記事では、卒業の年は2010年の春にあたる学年という範囲にとどめ、断定は避けておきます。

進学の理由は「4年でけじめ」

なぜ大学に進んだのか。藤ヶ谷さんは、MCとして出演した2026年3月13日放送のTBS系『A-Studio+』で、その理由を自分の言葉で説明しました。

「僕らってデビューがいつだって言われないじゃないですか。もしかしたらずっとジュニアかもしれないし、クビになるかもしれないし、明日デビューするかもしれないし、自分の気持ちとは全部裏腹。だから自分の場合は、4年でけじめつけなきゃなって感じで行きました」。

デビューできるかどうか分からない立場だったからこそ、大学の4年間を区切りにしようと考えて進学したのです。

この日のゲストは、King & Princeの永瀬廉さんでした。永瀬さんが「僕も大学に入った時はまだジュニアだったので『この大学在籍中にデビューできなかったら辞めよう』」と考えていたと打ち明けると、藤ヶ谷さんは「じゃあちょっと同じかもしれない」と応じています。

永瀬さんは「就職をするためのとっかかりとして大学に入ろうっていうのはあったので」とも話しました。デビュー前に進学を選んだ2人の考え方は、よく似ていたことが分かります。

進学を決めた高校3年生の頃の気持ちは、2023年1月13日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』でも語られました。番組の公式記事によると、高校時代はほぼ仕事がなく、高校3年のときは事務所での活動を続けたい気持ちと、自分にアイドルは向いていないのではという思いの間で揺れていたそうです。

そのうえで、大学の4年間で人生を決めようと考えて進学したと話しています。

同じ番組では、卒業や進級といった節目のたびに、父親と「この先どうするか?」と将来について話し合ってきたことも明かしました。進学の前から、進路は父親と話し合って決めるものだったことが分かります。

2つの番組での話に共通しているのは、大学の4年間を、続けるか別の道に進むかを決める期限として考えていた点です。『A-Studio+』の放送後には、視聴者から「堅実」「ちゃんと将来のこと考えてて尊敬」といった声が寄せられたと報じられています。

卒業は本人が番組で明言

卒業したかどうかについては、本人がはっきり答えています。『徹子の部屋』で、学生時代の思い出を話した流れの中での発言でした。

藤ヶ谷さんにとって、『徹子の部屋』への出演はこのときが初めてでした。入所からデビューまでの長い下積みを支えた家族の話が中心になり、その中で大学の話題が出ています。

番組を報じたモデルプレスによると、藤ヶ谷さんは大学生になった途端に仕事が増えて忙しくなったと振り返っています。忙しさのあまり、毎朝なかなか起きられなかったそうです。

そんな藤ヶ谷さんに母親がかけた言葉が、「これぐらいの忙しさで起きられないんだったら今後あなたは絶対スターになれない。SMAPがどれだけ忙しいか想像した事ある?」でした。

大先輩の名前を出された藤ヶ谷さんは、「それにムカついて『だったらじゃあ行くよ』っていうので」と当時の気持ちを明かしています。反発心が、かえって大学へ向かう力になったわけですね。母親が引き合いに出した先輩の名前は、のちに別の番組で学生時代を振り返ったときにも登場しており、それほど印象に残る一言だったことがうかがえます。

黒柳徹子さんが「すごいねお母様。SMAP持ってくるとこがね」と感心すると、藤ヶ谷さんは「ずるいですよね。SMAPさん持ってこられちゃうと」と笑顔で返しました。

そして番組の中で、「なんとか奮い立たせて大学も卒業しました」と自分の言葉で卒業を明かしています。

テレビ朝日の公式記事でも、毎朝母親に起こされながら学業との両立に励み、その激励があったからこそ、なんとか大学を卒業することができたと振り返ったと紹介されました。

入学前は仕事がほとんどなく、入学した途端に忙しくなる。思い描いていた4年間とは違う展開だったはずですが、区切りと決めた大学を最後までやり切ったことになります。事務所発表にもとづく報道で大学名と学部が分かり、卒業は本人の発言で確認できる、というのが確認できた範囲です。

藤ヶ谷太輔の大学時代|仕事との両立と進路の決断

  • 入学後に増えた仕事と両立
  • 卒業の時期に迫られた決断
  • 高校は皆勤賞で校名は非公表
  • 卒業後にかなったCDデビュー
  • 藤ヶ谷太輔の大学まとめ

ここからは、在学中の活動や卒業の時期の悩み、高校時代、そしてデビューまでを見ていきます。

入学後に増えた仕事と両立

藤ヶ谷さんが大学に通っていたのは、Kis-My-Ft2がまだCDデビューする前の時期です。オリコンのプロフィールによると、グループは2004年4月に前身のKis-My-Ftが結成され、2005年7月からKis-My-Ft2として活動を始めました。

2006年には、ドラマ『下北サンデーズ』に出演しました。オリコンのプロフィールでも、俳優としての出演作のひとつに挙げられている作品です。2006年の春に入学した学年だとすると、大学生になった途端に仕事が増えたという『徹子の部屋』での話とも時期が重なります。

当時の状況を知るうえで欠かせないのが、同期の存在です。1998年に入所した同期には、KAT-TUNの亀梨和也さんや中丸雄一さん、NEWSの増田貴久さんらがいて、NEWSは2003年、KAT-TUNは2006年にデビューしました。

2017年5月17日放送のフジテレビ系『TOKIOカケル』で、藤ヶ谷さんは「最初、KAT-TUNの一歩手前のグループに入っていた。でも(当時)中学生だったので8時以降のテレビに出れなくて、外されてしまって。で、KAT-TUNがデビューしていって」と振り返りました。

同期が先にデビューしていくなかで、藤ヶ谷さんはJr.として活動しながら大学に通っていたことになります。

学業と仕事の両立については、2024年1月23日放送のフジテレビ系『突然ですが占ってもいいですか?』でも触れています。「学生の頃、土日がライブで月曜日に学校がしんどかったとしても、母によく『これで忙しいって思ってたらSMAPになれないよ』って朝言われてた」。

週末はステージに立ち、週明けには学校へ向かう。そんな生活のなかでも、学業を投げ出さなかったことがうかがえます。

この番組では占い師から、学生時代も学業を優先してルール違反をしなかったのではと指摘される場面もありました。メンバーの宮田俊哉さんも「すごく真面目っていうのは本当にわかります」と話しています。

卒業の時期に迫られた決断

大学の4年間を区切りと決めて進学した藤ヶ谷さんですが、卒業が近づいてもCDデビューは決まっていませんでした。『TOKIOカケル』では、その頃の焦りを率直に語っています。放送は2017年5月17日で、デビューから6年近くがたってからの告白でした。

周りが就職活動を始めた時期については「周りの友達が就活しているとき、焦っていた」と明かしました。就職活動に向かう友人たちの姿を、間近で見ていたわけです。

父親からも、進路を問われていました。「父親が厳しくて、普段口数は多くないけど、卒業のとき『お前どうするんだ』って。『大学のとき、ずっと言い続けているけど、そろそろ(将来を)真剣に考えろ』って」。

在学中からずっと言われ続けてきた言葉が、卒業のタイミングであらためて重くのしかかったことが伝わってきます。事務所を離れるかどうか、苦しい決断を迫られた時期でした。

この放送を取り上げたdmenu映画の記事も、周囲が就職活動を始めたことや父親の言葉があり、一時は就職することも考えたと伝えています。『A-Studio+』で語った「4年でけじめ」という考えと重ねると、卒業の時期は、自分で決めた期限がちょうどやって来たタイミングでした。

同じ放送を伝えた音楽情報サイトのReal Soundによると、国分太一さんから続けられた理由を聞かれた藤ヶ谷さんは「辞めようと思ったこともありました」と本音を明かしています。

それでも事務所に残る決め手になったのは、嵐のコンサートでバックについたときの出来事でした。

「嵐のファンのみなさんが僕らジュニアに『ありがとう』って。それが嬉しくて幸せを与えられるようになりたい」。先輩のファンからかけられた感謝の言葉が、続ける理由になったのです。

4年でけじめをつけるつもりで入った大学でしたが、卒業の時期を迎えても、藤ヶ谷さんは別の道を選びませんでした。自分で決めた期限を越えてでも続けたいと思える理由が、藤ヶ谷さんにはあったわけですね。

高校は皆勤賞で校名は非公表

大学より前の学歴については、高校時代の話を本人がいくつか明かしています。ただし、高校の校名は本人からも事務所からも公表されていません。

インターネット上には具体的な校名を挙げる記事もありますが、本人の発言や公式の発表では確認できませんでした。この記事では校名には触れず、本人が語ったエピソードだけを紹介します。

2021年8月2日放送の日本テレビ系『しゃべくり007』では、NEWSの増田貴久さんと同じ高校で、増田さんが1学年上だったことが紹介されました。2人は担任の先生も同じだったそうです。

NEWSがデビューする際、メンバー全員のシルエットだけが先に公開されたことがありました。藤ヶ谷さんによると、ある日先生に呼ばれ、「『2人大事な話があるだろ』ってパソコン開けて、『自分がどれだか言いなさい!』って…」と問いただされたといいます。

友人からも「これ絶対たいちゃん(藤ヶ谷)じゃない?」と言われ、「その後すごい変な空気になりました」と笑いながら振り返りました。実際にデビューしたのは増田さんで、藤ヶ谷さんはJr.のままでした。NEWSのデビューは2003年のことです。

そのときのことを、藤ヶ谷さんは「デビューして、まっすーは忙しくて学校に来られなくなった。僕は皆勤賞で行ってました」と話し、スタジオの笑いを誘っています。皆勤賞の話は、別の番組でも本人の口から出ました。

高校は休まず通って皆勤賞をとり、図書カードをもらったと本人が明かしています。

『突然ですが占ってもいいですか?』での言葉は、「疲れたし忙しいし、でもSMAPってこれ以上忙しいんだなと思って…。高校とかも皆勤賞で行きました。図書カードもらった」というものでした。

一方で『徹子の部屋』では、高校時代は仕事がほとんどなかったとも話しています。同期のデビューを見送り、仕事も少なかった高校3年のときに、大学で将来を決めようと考えた。そんな流れが、本人の発言からつながって見えてきます。

卒業後にかなったCDデビュー

大学を卒業した後も、藤ヶ谷さんはKis-My-Ft2での活動を続けました。CDデビューがかなったのは2011年8月で、デビューシングルは「Everybody Go」です。

1998年の入所から数えると、デビューまでに13年がかかったことになります。『TOKIOカケル』では、TOKIOの城島茂さんでも入所から8年でデビューしていたことから、TOKIOのメンバーが驚く場面もありました。

藤ヶ谷さんはその13年の間に、「(ジャニーズの)友達がどんどんいなくなって。僕は小学生だったんですけど、中学、高校のお兄ちゃんたちがどんどん辞めちゃって」と、多くの別れも経験したと話しています。グループについては「キスマイはデビューから外された人たちの集まり」と表現しました。

そもそも、入所のきっかけになったオーディションも最初は不合格でした。2020年1月19日放送の日本テレビ系『行列のできる法律相談所』で、合格者の番号が書き出されたなかに「僕の番号はなかった」と明かしています。

借りていたナンバープレートをどこに返せばいいか尋ねた相手が、たまたま当時の社長でした。初日に話しかけてきたことをほめられ、番号を追加される形で合格になったそうです。デイリースポーツによると、2018年1月22日放送のテレビ朝日系『中居正広の身になる図書館』でも「オーディションに合格しなかったんですよ」と同じ話を披露しました。

大学の4年間で人生を決めようと考えていた藤ヶ谷さんは、卒業後も活動を続け、2011年8月にデビューをつかみました。

デビューから18日後には、東京ドームで公演が開かれています。『徹子の部屋』では、長い下積みについて「自分のなかではそれほど苦労したなという思いはありませんが、両親のことを思うと…きっと家族は不安な期間が長かったと思います」と語りました。

進学するときも、卒業するときも、藤ヶ谷さんのそばには進路を気にかける両親の言葉がありました。大学を卒業したうえで芸能の道を選び直したことが、その後の歩みにつながっています。

藤ヶ谷太輔の大学まとめ

藤ヶ谷太輔さんの大学について、分かっていることをまとめます。

  • 藤ヶ谷太輔さんは1987年6月25日生まれ、神奈川県出身
  • 大学は明海大学の経済学部経済学科(2009年にテレビ朝日が事務所発表として報道)
  • 進学の理由は「4年でけじめつけなきゃな」という思いだった
  • 入学後に仕事が増え、母親の言葉に奮起して学業と両立した
  • 『徹子の部屋』で本人が「大学も卒業しました」と明かしている
  • 卒業の時期には父親から進路を問われ、就職活動をする友人を見て焦っていた
  • 高校の校名は公表されていないが、皆勤賞だったと本人が語っている
  • 卒業後も活動を続け、2011年8月にCDデビューした

区切りのつもりで進んだ大学を卒業し、そのうえで芸能の道を選び直したことが、藤ヶ谷太輔さんの土台になっています。これからの活躍にも注目です。

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